漫画考

漫画が好きだ。

最近はあまり時間がなくて読めないが,漫画は面白い。

特に,あまり知らない分野で活躍する主人公の話は面白い。

映画やドラマよりも知的好奇心を満足させてくれる。

 

少しお気に入りの漫画を紹介してみようと思う。

 

capeta コミック 1-32巻セット (KCデラックス)

capeta コミック 1-32巻セット (KCデラックス)

 

 まずカペタだ。レーサーとして生きていく主人公の小学校時代から大人になるまでの物語だ。

同書の帯に「本の形をした嵐」というような紹介文があるが,まさにそれ。

日本ではそれが盛んな外国に比べてモータースポーツの盛り上がりが今ひとつらしいが,レーサーはアスリートであり,F1パイロットは世界で最もなるのが難しい職業の1つではないか。

日本の弁護士数は昨年で3万7680人らしいが,昨年のF1パイロット数は22人。

メジャーリーガーでも750人とか1200人とか,である。

鈴鹿サーキットなら1周約1分半,それを53周。一般人なら気を失うようなGが身体にかかりながら,アクセルとブレーキだけでなく,数々のスイッチを操作しながら走り抜ける。すさまじい世界である。

 

 

岳 コミック 全18巻完結セット (ビッグ コミックス)

岳 コミック 全18巻完結セット (ビッグ コミックス)

 

 岳も最高だ。

主人公は,山を愛し,山に住むクライマー。

助けた遭難者にいつも「よくがんばった」と笑いかける。

山は日本にも沢山あるが,そこは死と隣り合わせの世界でもある。

日本の冬山でさえ,時に体感温度−50℃にも達する世界であるが,人間は知恵と身体能力を振り絞り,そこを生き抜く。

都会に住む我々には人間の動物としての能力が失われたと考えざるを得ない。

人間もまた野生動物の1種であり,自然の中で生きてきたものだということに思いを馳せる物語だ。

 

 

 ピアニストというのは,神に選ばれた人種だと思う。

ただひたすら技術を磨き,心を磨き,そして溢れる才能。

音楽とは,もともと調和を求める学問であった。

紀元前6世紀,ピタゴラスが音の調和を追及したと言われている。

数々の音楽家が,美しい曲を作曲し,人間の耳に聞こえない音まで美しく考えられた曲もたくさん存在する。

ピアニストは,これらの美しい曲を再現し,現代に蘇らせる。

その音色は,心を揺さぶり,時間と空間にねじりを生じさせる。

そんな素晴らしいピアニストの物語。

 

読書考

本を読むことが好きだ。

学生時代,司法試験の勉強そっちのけで本をずいぶんと読んだ。

奨学金を学校の授業料や法律書と無関係の本の購入に充てるのはずいぶんと心が痛んだが,法律家には教養も欠かせないと自分に言い聞かせ続けたことを覚えている。

 

その後,仕事以外に本をあまり読まなくなった。

ビジネス書や自己啓発本が平積みで並び,しかもパクリや寄せ集めばかりで嫌になったのがまず1つ。次に,現実が物語を超えたというのが1つ。弁護士の扱う事件は,時に物語よりも複雑で,物語よりも驚きが多い。

 

しかし,ここ1年位,随分と面白い本に当たった。

1冊目はゼロトゥーワンである。

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

 

 

 

次に,最近色々なところで目にする,サピエンス全史である。 

 

 

私にとって面白い本とは,

①数年後に読み返しても価値があって②筆者オリジナルの主張が書いてある

というのが条件であるが,上の2冊は問題なくこれらを充たす。

 

この2冊を読んで,最近またよく読書をするようになった。

探せば面白い本がまだまだいっぱいあると知ったからだ。

諦めずに色々と探してみようと思う。

テレビ考

テレビを見ない自慢は鼻につくらしい。

 

私はたまにテレビを見る。

MotoGPやF1のテレビ中継が気軽に見れる頃は,楽しみの1つだったが,今ではどちらも気軽には見れなくなってしまった。今は,いくつか決まった番組を録画して見ている。

 

テレビに対して言いたいことは山のようにあるが,今日は,視聴率がどうの,と言っていることについて考えたいと思う。

 

視聴率が良い,高い,というのはそれだけ多くの人が見ているということは言えそうである。ただ,多くの人が見ているから面白い,というわけでもない。また,視聴率なんてものはテレビ局の人が気にすればいいだけの話で,視聴者には関係がない。

 

昔,カラオケ全盛期にCDのミリオンセラーが連発した時代があったが,あれも,売れた曲だから良い曲というわけではないだろう。

音楽で言えば,現在では,みんなが聞いているかに関係がなく,自分の好きな曲を聞くのが主流になってきたように思う。本来,音楽の好みは個人によって細かく異なるもので,自分の好きなアーティスト,ジャンルを各人が追及していくと,ミリオンヒットは出にくくなる。ただ,すごく好きな曲を見つけることができ,ライブに行きたい。等と思うわけである。もちろん,ミリオンヒットの曲にハマってライブに行く人もいるわけだが,CDを買うのは金額的にも時間的にもライブよりはハードルが低い。今なら公式動画で無料のミュージックビデオが見られることも多い。

 

そして,テレビである。

視聴率が良くない番組であっても,自分の好みにピタリと合えば,DVDを買ったり関連するグッズを買うだろう。何かイベントがあったら行くかもしれない。

特にテレビを見るのは基本的には無料であるから,CDを買うよりもハードルが低い。録画して好きな時間に見てもよいのであるし。

そんな時代に,この番組の視聴率が何%で,などと言っているのはどうも時代遅れな気がして仕方がない。

 

広く見られる番組よりも,深く刺さる番組。そういうものを見たいと思うのだが,それもなかなか見つからないものである。

 

おいしいもの考

ご存知のとおり,おいしいものは脂肪と糖だけでできているわけではない。

ご飯にバターと醤油をかけたっておいしいけれど。

だからといって,脂肪も糖もほとんど含まれていない鰹節がおいしくないわけではない。

 

最近,忙しくてコンビニで昼食を済ますことが多かったが,数日続けるとすっかり飽きてしまった。カップ麺ではどん兵衛がお気に入りであるが,それでも何日も続けて食べるものではないし,おにぎりも家で握った方が好きだ。

コンビニに行っても食べたいものがなくて,事務所で適当にプロテインを飲んでいたが,これも別にうまいものではないので,遂には昼食を摂らないことが増えた。

もう少し暑くなってきたら,コンビニで蕎麦を買って2日くらいに分けて食べることになると思うが。

 

こんな乱れた食生活で恥ずかしいが,私はおいしいものが好きである。

我が家では真空低音調理器というのであろうか,ジップロックに食材を詰めて低音で調理する器具がよく登場するが,これがうまい。

 

スーパーで買った肉や魚のうまさを引き出すのはかなり難しい。

よく加熱しないと腹をこわすこともあるし,生焼けはそもそもまずい。

そうなると,特に豚肉などがイメージしやすいが,しっかりと火を通すことになり,身は固くなり,旨味は逃げてしまう。

良いレストランでは,肉を休ませたりしながら旨さを十分に引き出してくれるが,あれは職人芸であって素人がなかなか真似できることではない。

 

そこで,真空低音調理器である。

固くならず,かつ,安全を確保できる温度まで容易に加熱できる。

なるほど,今まで食べていたのは安全を確保する代わりに味を犠牲にしていた部分があったか,と思ううまさである。

身近な肉や魚ですらそうであるから,おいしい料理というのは相当奥が深いのであろう。

 

 

ただ,私は,うますぎない料理が好きだ。

昔,六本木だかどっかで食べた茶漬けで,大葉だのゴマだのなんだのと薬味が色々とのっていてちょっとそのときの気分に合わなかったことがある。

うまいものは色々とあるし,それをうまくバランスをとって組み合わせるというのも料理であるだろうが,シンプルに食べるのもまたおいしい。

結局,うますぎる料理は刺激を求めるには良いが,人間そればかりでもいけない。

うますぎない料理のおいしさも追及していきたいと思うのだ。

自己評価考

仕事とは関係なく、最近した友人知人とのおしゃべりで気になったことがある。

それは、私なんてどうせ…という自己評価の低さを示す言葉である。

謙遜もあるだろうし、表現としてその方がその場にフィットすることも少なくない。

 

ただ本心として自己評価が低いのであれば、それは相当な問題であると思うのだ。

私だって、ゴージャスな女性をエスコートしようとすれば自信がないかもしれない。

普段は着るものに頓着ないし、高級外車も持っていない。

決して目鼻立ちが整っているわけでもないし、スラリとした背格好でもない。

それでも、じゃあアイディアで何とかすればいいじゃないか、と思うのだ。

話すことでも行動でも、考えることは嫌いじゃない。

 

私も自分の自己評価が根拠なんて何もないことを自覚しているが、それでいいと思う。

自分のことを面白い人間だと思って生きているし、それで誰に迷惑をかけるわけでもない。

自分のことを自分が好きになってあげないと、なんてありふれた言葉を言うつもりはないが、自分のいいところを伸ばしていさえすれば、誰だって何か素晴らしいところがあるはずだ。

 

別にいま何もないというのなら今から探せばいい。

ちょっとこれは見たことないな、という名物料理を出すお店を知っているだけでも。

お城の魅力を知っているだけでも。

それだけで人は自分に自信が持てるし、持って良いと思う。

 

 

結婚考

誰が言ったか,今は結婚しなくても幸せになれる時代であるらしい。

 

私は結婚しているが,結婚しなくても幸せであるということは同意する。

独りであったって,不幸せであるはずはない。

幸,不幸は本人が決めることであって,本人が選ぶものである。

どんな状況だって,喜びを拾い上げ,幸せを感じることは可能だと思っている。

 

ただ,私は結婚したことも良かったと思っている。

むしろ,私は結婚することを選択した以上,その選択が良かったと思えるように努めて生きていくのが最適な戦略であると考える。

 

 

そういった中で,別に独りであっても幸せだという考え方は意外と結婚生活に役立つように思う。

独りが好きだからこそ、妻を尊重できるし、子どもも尊重できる。

妻と子どもは他人であって自分ではない。

だから、好きにすればいいし、そもそも彼女らには、自分の思うようにする義務もない。

彼女らと一緒にいたって私は独りだし、私は独りでも彼女らのことを思う。

ネイティブ・アメリカンの言葉であったか,家族がうまくいってさえいれば人生は成功だというような趣旨の言葉を聞いたことがある。

妻と子どもと親と兄弟と仲良くさえできていれば,私の人生もまた成功なのだ。

 

子どもの受験考

学生時代,塾の講師をさせてもらったことがある。

子どもと共に考え,悩み,何のために勉強するのか,どうやって勉強すれば成績が伸びるのか,非常に良い時間を過ごさせてもらった。

 

現在,小学校では,学習塾に通う子どもが多いような気がする。

中学受験をする子どもであれば,小学3年生か遅くとも4年生。

そうでなくても小学4年生には通い始め,5年生にもなればクラスのほとんどが通塾しているような感覚である。

小学校の方でも,やるべきことが増え,単位数が厳しくて,学習塾に任せざるを得ない部分もあると思うし,現にそう発言する教師も見たことがある。

 

 

学習塾に通うことが悪いことだとは思わない。

ただ,子どもが遊ぶ時間が減るのは少し嫌だと思う。

作家の鈴木光司氏が,「受験は2回までしか耐えられない」という論をどこかで展開しておられたが,私もこれに概ね賛同する。

中学受験,高校受験,大学受験の3回は,子どもには負担が大きすぎる。

熱心に勉強すればする子ほど,特に失敗したときのダメージは大きい。

 

 

そこで,親も戦略を立てる必要がある。

中学は受験させない。

中学受験させるなら中高一貫校に。

子どもの性格によっては,大学までエスカレーター式のところに早くいれる。

中学・高校と好きなことに打ち込ませ,大学はいかないことも含め,海外も視野に。

 

正直,これからの世の中,大学が必要だとは思えない。

私が大学時代を遊んで過ごしたというのもあるが,少なくとも大学に遊びにいくぐらいなら,もっと本気で遊んだほうがいい。

個人的には偏差値の高い大学に行って,お医者さんになって。公務員になって。なんて時代はもう終わっていると思っている。

 

ただ,勉強はすべきだし,個人的には機会があれば大学院に行きたいとも思っている。

勉強すればするほど,世の中は知らないことだらけだし,1つのことを究めていくことで,見方が変わって世界が変わる。